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デヴィ夫人の生い立ち2 [生い立ち]

前回⇒デヴィ夫人の生い立ち1

インドネシアの大統領夫人となった
デヴィ夫人。

しかしながら大統領は
クーデターにより失脚してしまいました。

結婚当時は、「日本を捨てた売春婦」とおもしろおかしく
騒ぎ立てられ、亡命を希望しても
自分を守ってくれない日本政府。


さぞかしデヴィ夫人は辛かったと思います。

しかしこのくらいでデヴィ夫人はめげませせんでした。


◆常に前向きなデヴィ夫人

これまで頑張ってきたように常に前を向いて
プライドを持って生きていくのです。

スカルノ大統領の失脚後から2年後デヴィ夫人は
スカルノ大統領との子どもを日本の大学病で出産します。

長女の名前はカリナさん。

そして長女出産後、子どもとともにフランスに亡命しました。

1970年、スカルノ大統領は死去します。

この時にインドネシア政府より多額の
財産を分け与えられたとする説と

スカルノ一族の失脚により財産は殆ど
なかったという説があります。

うーん、どっちなんでしょうね。

デヴィ夫人の財産から見て分け与えられたような
気がしますけどクーデターで失脚したならお金なんて
全部没収されてそうな気がします。

デヴィ夫人のたくましさから考えると財産がなくても
何とかしたような気がします。


◆娘さんとは不仲だった?

また、娘のカリナさんとは不仲説があったようです。
詳細についてはわかりませんでした。

とにかく、その後娘のカリナさんは2005年に
シティバンクの偉いさんと結婚します。

そのカリナさんの息子(デヴィ夫人の孫)が
金スマに出ていました。

とても可愛いいかったです。


デヴィ夫人の最近のバラエティでの
活躍は眼を見張るものがあります。

一説には、お金に困っているのでは?
とか言われていますが、誰がなんと言おうと
デヴィ夫人のいろんなことに挑戦する姿をみて

勇気づけられている人はたくさんいると思います。

デヴィ夫人これからもがんばってください。


関連記事
デヴィ夫人の金スマでの嘘?(1)
デヴィ夫人の金スマでの嘘?(2)

デヴィ夫人の生い立ち1 [生い立ち]

デヴィ夫人の生い立ちについて検索
する人が多いようなので調べてみました。


◆デヴィ夫人のプロフィール

デヴィ夫人は1940年2月6日
に生まれました。

旧・日本名:根本七保子(ねもとなおこ)

学歴:東京都立三田高等学校定時制部を中退。

家は、大工で父親は呑んだくれで多額の借金が
あったとのこと、ですからとにかく家が貧乏でした。
そのため家計を助けるために
夜の街で働いたそうです。


でも、頭のいいデヴィ夫人は夜の街と言っても
赤坂の高級倶楽部「コパカバーナ」というクラブです。


要するに、お小遣い稼ぎでキャバクラや風俗で働くの
とはわけが違うという訳です。

銀座のクラブもそうですが、こういった高級クラブ
で働くには、いろいろと勉強したり気配りもできたりと
女性のしてのスペックがかなり高く無いと務まりません。
それを10代の頃に身につけていたというのは、
本当にすごいことです。

そしてこういう高級クラブで働いていたからこそ
訪日中のインドネシアのスカルノ大統領と出会ったのです。

確かに若いころのデヴィ夫人は美人ですし
頭も良い、スタイルもいい。

しかも、1962年イスラムの習慣では、一夫多妻制が
認められていたのです。

スカルノ大統領がデヴィ夫人と結婚しない理由が
ありません。

って、すごいですね。


とにかくそれだけデヴィ夫人が魅力的だったのだと
思います。

とにかくスカルノ大統領の第3夫人として結婚しました。


◆残念な日本国内の評価

しかしながら日本では、デヴィ夫人のことを
シンデレラガール」ではなく「日本を捨てた売春婦」と
騒ぎ立てました。

ひどい話ですね。

そして1965年インドネシアのクーデターでスカルノ
大統領は失脚します。

この時、デヴィ夫人はインドネシアの日本大使館に
亡命を希望したのですが、受け入れてもらえなかった
そうです。

日本政府の言い分としては、国際的立場上の理由とのこと。

うーん、元は日本人でもその時はインドネシア人なので
仕方がないきもします。(どうなんでしょ)



つづき⇒デヴィ夫人の生い立ち2


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