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デヴィ夫人の生い立ち1 [生い立ち]

デヴィ夫人の生い立ちについて検索
する人が多いようなので調べてみました。


◆デヴィ夫人のプロフィール

デヴィ夫人は1940年2月6日
に生まれました。

旧・日本名:根本七保子(ねもとなおこ)

学歴:東京都立三田高等学校定時制部を中退。

家は、大工で父親は呑んだくれで多額の借金が
あったとのこと、ですからとにかく家が貧乏でした。
そのため家計を助けるために
夜の街で働いたそうです。


でも、頭のいいデヴィ夫人は夜の街と言っても
赤坂の高級倶楽部「コパカバーナ」というクラブです。


要するに、お小遣い稼ぎでキャバクラや風俗で働くの
とはわけが違うという訳です。

銀座のクラブもそうですが、こういった高級クラブ
で働くには、いろいろと勉強したり気配りもできたりと
女性のしてのスペックがかなり高く無いと務まりません。
それを10代の頃に身につけていたというのは、
本当にすごいことです。

そしてこういう高級クラブで働いていたからこそ
訪日中のインドネシアのスカルノ大統領と出会ったのです。

確かに若いころのデヴィ夫人は美人ですし
頭も良い、スタイルもいい。

しかも、1962年イスラムの習慣では、一夫多妻制が
認められていたのです。

スカルノ大統領がデヴィ夫人と結婚しない理由が
ありません。

って、すごいですね。


とにかくそれだけデヴィ夫人が魅力的だったのだと
思います。

とにかくスカルノ大統領の第3夫人として結婚しました。


◆残念な日本国内の評価

しかしながら日本では、デヴィ夫人のことを
シンデレラガール」ではなく「日本を捨てた売春婦」と
騒ぎ立てました。

ひどい話ですね。

そして1965年インドネシアのクーデターでスカルノ
大統領は失脚します。

この時、デヴィ夫人はインドネシアの日本大使館に
亡命を希望したのですが、受け入れてもらえなかった
そうです。

日本政府の言い分としては、国際的立場上の理由とのこと。

うーん、元は日本人でもその時はインドネシア人なので
仕方がないきもします。(どうなんでしょ)



つづき⇒デヴィ夫人の生い立ち2


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